姪浜に残る伝承では、小戸は神代の昔、伊邪那大神が小戸の憶ヶ原で禊祓の神業を行なわれ、天照皇大神、月読命、須佐之命、志賀三神、住吉三神、警固三神の御降誕された所として、全国の神社の祓え詞として奏上されています。
また東北側の海岸線を「あこめが浜」といい、神功皇后が三韓遠征の際、この浜より出発され凱旋帰国された所で、濡れた女性の衣を干された浜で、それが転化して姪浜と呼ばれるようになったとの言伝えがあります。
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姪浜は、記録に残る範囲では、愛宕山、小戸公園その間に丸隅山(興福寺山)と言われるところを結んだ線が海岸線であったこともあり、索漠たる一漁村でしたが漁獲量が増大するにつれ部落も拡大していきました。現在でも、姪浜漁港の名前が色濃く残っています。
丸隅山というのは、現在のマリノアシティの横を流れる名柄川に架かる西福岡マリナ大橋沿いにある小高い丘を言います。
現在は削り取られてわずかしかありませんが、この頂には毘沙門天や志式神社があるとの記述があります。
長崎・平戸方面からの唐津街道として福岡に入る要路にあたり「宿駅」が置かれ繁栄をしました。鎌倉時代に入り「元」からの侵攻に備え「探題職」を当地に置いたこともあり、愛宕山をはじめクローズアップされるようになりました。その名残が「元寇防塁跡」でマリノアシティ前や小戸ヨットハーバー横の松林にその記念碑があります。
江戸時代には、黒田藩が福岡城(舞鶴城)をつくり入府すると、唐津街道からの福岡入り口の宿場駅としてさらに栄えました。
ただ明治維新後は、一時衰退をたどったとの記録があります。
明治22年に自治制が敷かれ「早良郡姪浜村」でスタートして、明治26年に姪浜町になり、大正3年(1914年)には「姪浜・福岡炭鉱株式会社(早良炭鉱)」が起業し、炭鉱町としても隆盛していきました。
昭和8年(1933年)4月に早良郡姪浜町から福岡市に編入合併され現在に至っています。
資料提供:川岡保(当会員) 郷土写真集2006年改訂版「姪浜とその周辺」より
地下鉄姪浜駅を中心に福岡市西区の行政や交通の中心をなしています。
近隣には、「マリノアシティ福岡」や「ショッパーズモールマリナタウン」などの商業施設が立地し、休日には、福岡市はもちろんその他の地域からも大勢の人が訪れています。
また、地下鉄姪浜駅周辺の再開発や福岡都市高速のインターが新たに完成するなど今後発展が見込まれる地域として注目を集めています。